どうも、こぐれ(@kogure1004)です。
俺の家の話、いよいよ佳境ですね。
来週の最終回を目前とし、今回はかなりの動きがあったように感じます。
「離見の見」という言葉。
自分のことを客観的に見るという世阿弥の言葉です。
今回、寿三郎が脳梗塞で倒れてしまい、もう別れが近そうなので幹部や弟子達がお別れの挨拶のために観山家に集まります。
その場でこれまで寿三郎が座っていた上座に座る寿一、そんな自分に違和感を感じてこの「離見の見」という言葉を思い出す。
廊下から普段着姿の寿一が和装姿の寿一を見守る。
和装(現実)の寿一は自分らしく?または寿三郎のため?にスーパー世阿弥マシンとして別れの挨拶の場へ行くことを決意。
普段着(空想)の寿一は「そうだよな〜」と呟きシーンは切替る。
このシーンに何だ違和感を感じたのは僕だけじゃないはず…
この普段着(空想)の寿一がただ「離見の見」のためだけに出てきたように見えなかったんです。
ホントなんとなくですけど。
そして9話の最後のシーン。
会場へ向かうスーパー世阿弥マシン(寿一)を後ろから見る和装姿(空想?)の寿一。
いや、ちょっとまて。
対戦相手のホセジュニアはプロレス愛が無く、切れたらなにするかわかんないやつ。
奇跡は一度しか起こらなかったという言葉。
ちょくちょく出てくる別次元の寿一。
いや、これ寿一死ぬんじゃないの?
ちょくちょく出てくる別次元の寿一は「離見の見」として客観的に自分を見るための寿一ではなく、あの世から前世を振り返っている寿一なのでは?
という仮説が僕の中で芽生えました。
新春能学会で演じる予定の「隅田川」という演目。
母親が行方不明になった息子を探すも、最後に息子はすでに死んでいたことを知るという話。
実は死んでいた息子=寿一なのでは?
引退試合でホセジュニアの一撃で死んでしまう寿一。
観山家の皆んなは寿三郎にはショックが大きすぎるため内緒にしておく。
何も知らない寿三郎は急遽寿一の代わりに秀生と隅田川を演じることに。
世阿弥は死んだ息子の役は出さないと言いました。
役者の演技の力で死んだ息子を見せるのが能だと。
まさに秘すれば花というやつです。
寿三郎の演技で会場の皆んなの前には死んだはずの寿一の姿が。
この時初めて寿三郎も寿一が逝ったことを…
我ながらまじで良い線いってるんじゃないかなと思ってました。
公式サイトの予告みるまでは。
全然違うみたいで草www
いやぁ、最後どうなるかほんと楽しみです!
今回はここまで!
僕から以上!
あったかくして寝ろよ〜